応援団は美しい。
この令和の時代、応援団のありようも昭和を生きたワタシからするとずいぶんと変わってきたように思う。
ワタシの母校である立教大学でも、今や女性の団長が、男子以上に凛々しくリーダーを振っている。
学生時代、応援団ほど報われない団体はないと思っていた。ワタシは少林寺拳法部に所属し上級生から愛あるしごきを受けていたが、それは防具をつけた上でのものだ。一方、隣で練習する応援団の同期の仲間は、何が理由かわからないが上級生から革靴のまま腹を蹴られていた。
当時、時代はバブル絶頂期、若き男女はスキー場で、テニス場で、マハラジャで青春時代を過ごした。その時代にわれわれは、学ラン、角刈りである。異端だった。
神宮で野球部が負ければ、負けたのは応援が悪かったからと池袋まで学ランで走って帰っていた。
そもそも彼らは、グランドに背を向け観客を盛り上げ、鼓舞し、共に喜ぶ。ほとんど試合など見ていないのである。決して主役ではなく、他者の為に全身全霊で尽くすのである。
その姿は、無心、献身、滅私という言葉を想起させる。
ワタシもそういう存在になりたい。
中小企業の経営者は孤独だと思う。(もちろんそうでない経営者もたくさんいると思うが)、事業の拡大を考え、資金繰りに奔走し、従業員の生活も守らなければならない。
大企業であれば、それぞれ機能が組織化され、責任者が役割を担うが、中小企業は1人で何役もこなさなければならない。
ワタシはそんな中小企業経営者の人事の応援団長になりたい。経営者が事業に専念できるよう、経営者と従業員の間の潤滑油になりたい。
神宮で試合終了後に行われる相手校とのエールの交換は、相手校へ敬意を表する行為だが、それ以上に観客席、選手達に向けたエールであり。狂おしいほどの母校愛なのだと思う。
経営者に、そこで働く従業員に、社会に、微力だが最大限のエールを送りたい。
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