昨年(2023年)12月に会社を辞めた。
今まで6回の転職をしてきたが、はじめて次の仕事を決めないままでの退職だった。
2024年は、組織に依存せず自立して生きることを決めた年でもあり、これからのジンセイを再出発させる年にしようと決めていた。
1月から、毎日運動をかねて4.5kを歩いての図書館通いを課した。はじめてのハローワーク。昔お世話になった人たちとの再会など、再始動に向けたスケジュールを埋めていった。
そんなとき、昔の同僚から旅の誘いを受けた。
彼は、一足先に会社勤めをリタイアし、キャンピングカーを手に入れて自由な生活を謳歌していた。彼が山口県の出身だったこともあり、旅の目的は、山口の名所を訪ねるものした。
山口の初日は、宇部空港に降り立った私を彼がピックアップして始まった。本州の海岸線を時計回りに移動し、唐戸の市場で寿司。その後壇之浦。源平合戦や、馬関戦争、日清戦争下関講和、武蔵と小次郎の巌流島の決闘など、日本の歴史の表舞台となった土地を歩いた。昼食はソウルフードの瓦そば。シン・仮面ライダーの舞台となった角島大橋を激走し、夕刻、旅の大きな目的であった萩に入った。
その日は、早くから町の灯がおちる萩の街をあるき、裏通りの居酒屋で萩の魚と酒をいただく。そして翌朝一番に向かった先が松陰神社である。
いわずもがな、明治維新胎動の地と言われる松下村塾を開設した吉田松陰先生が祭られた神社である。
下田にペリーが来航し、密航を企てたのが24歳。27歳で松下村塾を引き継ぎ、30歳で獄中に斃れた。長州藩という本州の最西部に位置しながら、日本の歴史を動かした若者を多数輩出した。昭和の時代、金融機関に勤めていた時に、会社のやり方や状態を憂いながらも、何もできない自分を叱咤するようにむさぼり読んだ司馬遼太郎の作品の中に「世に棲む日々」があった。ここで松陰先生と仲間たちに出会った。
早朝の境内は清々しく、1月も半ばに入って他の参拝者もいない。凛とした空気の中で松下村塾跡を見学。本堂でこれから迎える1年を祈った。
そのあと、おみくじを引いたのである。
友人のおみくじには、まだ働けと出て友人を苦笑させていたが、わたしのおみくじは大吉。「臆病をふっとばしてただいちずにつき進め。」と出た。8年目となる社労士受験も、「安心して勉学せよ。」と出た。
勇気百倍。やるしかない。
友人の縁で萩までたどり着き、時代の先覚者より激励の言葉をもらった。自分は松陰先生よりもすでに30年も生きながらえている。あと10年か、15年か。これからの人生は世の中の役にたつものにしたい。
自分はなぜ、社労士を目指してきたのか。社労士になって何がしたかったのか。改めて自分に問う機会になった。
あれから1年。おみくじのご利益として、想定外だった59歳での就職、社労士試験の合格、志を共にする新しい仲間との出会いに恵まれた。
ありがとうございました。
最後に、改めて自分に対して、松陰先生の言葉を贈り、心に刻みたい。
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、 計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。 故に、夢なき者に成功なし」と。

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